2012.8.1 詩集「光の果実」
文字の消えた本
─poet 辻節子に─
ルアーヴルの砂浜を歩いていた
ロカンタンの亡霊
「想像できてしまうわ」
と
あなたは葉書に書いてきましたけれど
辻節子さん
ぼくは
その亡霊の足元にひらいた階段を下りて
オンフルールに向かうバスに乗っていま
した
手をふっていた小さな女の子が
風にさらわれ
波止場の坂道は
コメルス・サン・タンドレ小路のよう
ぼくは走って時間の壁を通り抜け
カフェportのテラスで
文字の消えた本をひらきました
あなたへの
新しい手紙を書くように
petit val d’or
ひととひと
を隔てる
eternal valleyの青い氷河
の
中の
記号のmegalith
大西洋に面したpilatの砂丘と
波に洗われる裸婦
の近くの町Arcachonでリセに通った
と
Sarahはフランス語で言った
そのフランス語に重なる
日本語の道路を通って
松林の中を
ぼくは
エスタックへ旅した
セザンヌの視線に重なる
ジュリアンの視線に
ぼくの視線を重ねて
ことばの透明なプリズムの中で屈折し
泉になる光
その青い変容の感触
の
中の
古代ギリシャの光の透明な影
ほら ナイ
ぼくらはモロッコのpetit val d’orで泳いだね
あの光の海で
* petit val d’or (金の小さな谷) は,モロ
ッコのラバトとカサブランカのあいだにある
大西洋岸の小さな入り江
石の中の光の泉
詩人ではない詩人として生まれたぼくが
まだ孤児の王だった頃
世界はいつも青い水槽で
ぼくは
さまざまな変身術を身につけていた
ある時は
骨の透けて見える白魚
ある時は
空腹を癒す小石の精
ある時は
衣笠山の麓の
小川にかかっていた丸木橋
の
上
の
曲芸師
ある時は
京都から東京までの
街道を駆け抜ける
燕の翼をもった紙の飛脚
ある時は
ノートに書き取られた分数の中の
猫の死骸に群がる蠅
ある時は
理由もわからずに銃殺された兵士の
遺品の鞄の中の未来の写真
ある時は
時代ごとの壁の中に
生きたまま塗り込められた
透明な鳥
*
詩人ではない詩人として生まれたぼくが
まだ孤児の王の末裔だった頃
ぼくは
白馬も自転車も
オートバイも車も
家も友だちも何一つもっていなかった
なのにぼくが生き延びられたのは
見えない光が住む
見えない森のおかげ
大きな町でも小さな村でも
ひとがいるところではどこででも
ぼくは石を投げられ
棒で打ちのめされ
何度も何度も殺されつづけたけれど
死体の上に唾を吐きかけられつづけたけ
れど
見えない森は
その見えない光で
ぼくをよみがえらせてくれた
葉の上の球形の水とともに
*
詩人ではない詩人として生まれたぼくが
孤児の王の称号を捨てて
見えない森の中で目をさました時
時間と空間は数回転し
呪文がとけて
ぼくは
ことばの石の中の
光の泉になった
記号の鳥たちへのオード
空気の円錐から
空気の円錐へ
光の
薄片が飛ぶ
と
ライカのレンズが
触覚になる
震える青い距離
曲線の羽毛
あるいは
神経細胞を駆けめぐる
輪切りのグレープフルーツ
見えないページが
ひときわ白くなり
その透明な影の中に
記号の鳥たちの姿が消える
*
シャンパーニュ地方の都市
ランス
の
1983年のガラスの動物園を通り抜けて
ぼくは
普通列車で
葡萄酒色の海へ向かった
形而上学にさよならを告げて
詩のbonjour
神楽坂を降りてゆくphilosophia氏
の
円錐の帽子が春一番に飛ばされる
と
青いビー玉の中の泉が
光と鬼ごっこをはじめる
白装束の死者たちが
外堀通りを
市ヶ谷に向かって
長蛇の列をなして歩いてゆく
人類の誕生以来
どれくらいの人が死んだか
数えたことがありますか
すべての死者は
その透明性において
対等です
だなんて
許されません
ラスコーリニコフよりも
極悪非道な
観念の無免許運転者たち
桜の蕾にミサイル
マルドロールが呪う神も
いまはいない宇宙の渚で
死者たちの透明性が
透明にひっくり返される
仏陀もなしに
ことばの仁淀川が地表を這い
ひとは
背中から
未来のナイフに
突き刺される
と
反復ではなく
飛躍の鳥が
水の中で透明なつばさをひろげる
空の青の中へのジャンプ
日々のできごとや思いを
何でもいいから文にしてごらんなさい
うまく書こうなどと思わずに
でも
“わたし”を消して
(これ以上に難しいことはありませんが)
ほら
ことばの中に
透明なことばたちがあらわれる
*
永遠という観念など捨てなさい
美という観念なども捨てなさい
その他
真や善にまつわる
いろいろな観念も捨てなさい
*
1つのオレンジを
1つのオレンジとするためには
“わたし”をネガフィルムにして
森羅万象の
透明な通路にしなければなりません
ひとまねもものまねも論外
透明なことばがひらく
透明な洞窟の中に
すみやかに姿を消さなければなりません
そして
消えたものの側から
世界に触れ直すとき
あなたはあなたにも
内側から触れ直すことになるでしょう
と言った
詩の死から生まれた詩人は
ワイングラスの中の
非人称の廊下を走り抜けると
空の青の中にジャンプしたまま
行方不明になってしまった
見えないpassage
金属図書館で光の書を読み
文字の中の透明な影となった少年k
「こんなに近くにいながら
あなたは遠い」
と
きんいろのトカゲが言う
「こんなに遠くにいながら
あなたは近い」
と
超光速の宇宙船に乗った少女soleil
が旧石器時代のことばで応える
ひらかれたままのドア
137±2億年の次のページで
岩石絵画が気化するのを見ていたのは
パピルスの門番
adieuカフカ
裸のニンフたちが
沖から走り寄ってくる
樹液が
葉脈から葉にふれる
†あとがき†
この詩集に収められた作品群は,詩作品(ポ
エム)によって ”詩をひらく” 試みとして 2008
年から 2012 年にかけて制作された作品群であ
る.もっともこれらのインスピレーションの源
流は 65 年以上前のぼくがこの世に生まれ出た
時まで遡るのかも知れない.
「光」は古人によって「神の光」「天の光」
「存在の光」などと表象されてきた「光」のこ
とではないかと指摘する読者がいるかも知れな
い.仮にそうだとしても,そのような命名から
のがれさる「光」が,ここでの「光」なのであ
る.
この「光」は物質なくしてはない非物質的な
「光」である.
ぼくは詩の現代性 modernité に立脚しながら
この地点までやってきた.詩の現代性というこ
とばは,時間と空間についての認識論的な転換
を示すことばである.現在は過去によってつく
られる以上に過去と未来を新しくつくりだす湧
出点であるというのがその認識転換の要である.
また,もう一つの要は,詩を詩以外の思考に従
属させないということである.詩の現代性の要
諦がそういうことなのなら,2012年にその現代
性に立脚した詩人であり続けることは少しも時
代錯誤ではないだろう.
いずれにしても,これらの詩作品の透明なテ
ーブルの上に置かれているのは,非神秘主義的
な,けれども「明るい秘密」に属する,創造の
「光」の果実たちなのである.